三日月句会

俳句のこと。句会のこと。一考さんのこと。

#俳句、川柳

紅梅

紅梅に最もちかき船櫓 『斧のごとく』より。昭和53年 作者の詠む紅梅は、よく水辺にある。 洲になにもなし紅梅の一進す 洲を掘りて水位の確か薄紅梅 昂然と紅梅あらば渚まで 作者の居住地横須賀方面の風景のようにも思う。怠慢ゆえにまだ確かめていない。 海…

身に湧いて雛のうたや小名木川 『白昼』より。平成四年。 「小名木川」「雛」といえば『おくのほそ道』である。 江戸深川の「江上の破屋」に暮していた芭蕉が漂泊の思い止まずに松島を指して旅立つ冒頭部分、人手に渡った庵に 草の戸も住替る代ぞひなの家 と…

かいつぶり

乱読に当てなかりけりかいつぶり 『貌鳥』より。平成元年。 「乱読」とはそもそも手当たり次第に読むことなので、この句の「当てなかりけり」は念を押しているようなもの。「わざわざ云わなくても」と思ったものだった。 今日突然、この句がしっくり来た。 …

大寒

大寒や灯して濁す身のほとり 『斧のごとく』より。昭和52年。 手元の灯かと思う。 何かの必要に迫られて灯したが、そこに照らし出されるのは必ずしも美しい世界ではない。 見なくてもよいものまでが浮かび上がってくる。そして、それは避けられない事象なの…

クリスマス

昨晩更新しようと思ったら、パソコンが固まってしまった。 というわけで、やや乗り遅れた感はあるが、一考さんのクリスマス関連の句を探してみた。 少ない。 句集に採録されたのは一句のみ。 街なかに降誕祭の没日あり 『貌鳥』より 平成元年。 古のヨーロッ…

冬至

坂に出て冬至の靴の黒光り 昭和63年の作。 当時「人」に入会したての私はこの句をとても良いと思ったのだが、句集には採録されず。 句集というのはそれなりに一貫した空気が流れていなければならないのだとすれば、たとえ佳句でも弾かれる場合はあると思う。…

十二月

重と丼膳もありけり十二月 『白昼』より。平成四年。 たぶん鰻。そしてたぶん作者は鰻好き。 普段は旧暦に拠ることの少ない世の中が、十二月に入った途端「師走」を連発する。なんとなく節操のない感じがするし、だいたいまだ「霜月」なのだが、実際慌ただし…

万感のやさしさをもて雪の舞ふ 句集「黄檗山」より。昭和56年。 作者には雪の句が多い。 生きてゐて氷の上の雪の嵩 海に雪黒人兵の膝拍子 石組みに無上無類の雪の来よ 我儘に句は作るべし牡丹雪 雪の上ぼろんと真日の転び出づ 作者は横須賀の生まれ育ちだ…

推敲すること

二十年ほど前はまだ一考さんはご健在で、精力的に指導していた。 私も毎月句を送り付け、先生はその句稿に丸とか二重丸とか傍線とかを書き込んで返送してくれていた。毎月四百字詰め原稿用紙五枚ほどだったろうか。随分迷惑だったに違いない。 それで丸や二…

秋茄子

秋の昼一つは茄子を焼きたまへ 『櫂歌』より。昭和60年の作。 季語は「秋の昼」だが、「茄子」のインパクトが強くて、つい記事のタイトルを「秋茄子」にしてしまった。 長年、「ああそうですか」と思って遣り過ごして来た句。 ふと情景が気になる。 茄子を詠…

炎天

いみじくも炎天よりの憎しみぞ 句集『櫂歌』より。昭和60年。 まず「いみじくも」である。広辞苑によると「まことにうまく。適切に」とある。 原型の「いみじ」は「『いむ(忌む)』の形容詞形で、禁忌として決して触れてはならないと感じられるというのが原…

うつくしく蛇の泳いで伊勢の雨 句集『黄檗山』より。昭和58年の作。 掲句は「人」昭和58年11月号に掲載されているが、記録を見る限り、実際に伊勢を訪れて詠まれたものではないようである。 実際の景に際してのものではなかったとしても、そこへ到るまでの作…

噴水

本降りに夜の噴水の有頂天 句集『貌鳥』より。平成元年の作。 まず「有頂天」という語が頭に浮かんだという。 「有頂天なものって何だろう」と作者はイメージを膨らませる。 「胡蝶蘭」を連想する。それでは容易に想像がついてつまらない。 続いて「噴水」を…

さくら来て死は旧暦の思ひかな 真っ先に連想するのは西行である。それだけでも納得してしまう説得力がある。 その一方で、「さくら来て」とは具体的に読もうとすると色々な見方が出来る。 「さくら」と「来て」との間には、読む場合に助詞が補われる。「の(…

辛夷

槍飛んで来さうな辛夷朝の空 花こぶし遊女の数をたづねしが 絶巓の風のこぶしとして消えむ もうひとり辛夷の家の卵買ふ 遠浅の波が鞍替へ辛夷咲く 3月17日は進藤一考の命日。今年で19年になる。 葬儀からの帰途、電車の窓から見事に満開の辛夷の樹が連なって…

啓蟄

啓蟄の屋根踏みしめて瓦職 進藤一考 第六句集「白昼」より。 「瓦職」が踏みしめているのはやはり瓦屋根だろう。足は地下足袋だろうか。 作者の家が瓦葺だったかどうかは知らないが、実際の景を見ているというよりは、作者は家の中に居て、職人が屋根の上を…

「人」200号

「人」200号が発行されたのは平成7(1996)年。 21年前ですね… ページ数362。 主宰作品はもちろん、主要同人の自選百句、随筆、 進藤一考論、200号記念論文と盛りだくさん。 当時の結社の充実度と盛り上がりが偲ばれます。 私はここで記念論文賞を受賞しました…

創刊号 主宰作品

あけましておめでとうございます。 俳誌「人」は創刊時の精神に立ち戻るべく、その当時の表紙を昨年から採用しています。 私個人としても、もう一度進藤一考の俳句を読み直し、句に対する厳しさや孤独への志向を見つめようと思っています。 この場で何が出来…

菊冷えと思ひをりしが紅葉冷え

菊冷えと思ひをりしが紅葉冷え 一考 私事だが、11月の函館句会に「菊日和」の句を出したら無点だった。 「季感がピンと来なかった」という。 東京では菊花展も開催され、晩秋から初冬の、本当に良い季節。 函館では雪も降りはじめ、最低気温は氷点下になる。…

俳句総合誌管見 『俳句界』8月号より

『人』の「俳句総合誌管見」というコーナーで『俳句界』を担当しています。 いわゆる「ハウツー」的な記事には興味が無いのですが、句作の根本的な部分に働きかけるような記事が多く、興味深く担当させてもらっています。かなり好きなように書いてます。 8月…

2016年8月号

ご無沙汰しておりました。 「人」8月号です。 今号から印刷所が変り、心機一転のスタートです。 表紙は昭和54年の創刊号のものです。 初心に帰って新たな歩みをということです。 会員に宛てたことば。 何よりも句を第一に、句に厳しくというのがあるべき姿…

さんまい三昧~卵~

いろいろ試してみたくなります。

2016年4月号

毎月一日に合せて届く『人』誌。 今月も無事に。 主宰作品。 同人の作品抄。

白梅や睡魔が神の姿して

白梅や睡魔が神の姿して 進藤一考 句集『櫂歌』より。昭和59年。 白梅を見ていたら眠くなってきた。睡魔に襲われたのだ。 白梅の樹は満開で遠目に雲のように見える。それが曇っていると梅の花と空とが混然一体となって自分もその中に溶け込んでしまいそうに…

2月号 人作品抄(十人集・当月集・合鳴鐘集)

団栗を上手く蹴られぬ朝もある 森住 昌弘 朝の道に団栗が落ちている。何気なく毎朝蹴ることにしている。何をするにも思う様にいくことに安堵し続けていた。だが調子が違う、昨日のようにいかない。蹴ったつもりが、残っている、再び試みる。こんなことに心ま…

2月号 主宰作品

鶏頭やすこし稚気ある師ではある やはり進藤一考のことだろう。「すこし稚気ある」で無垢な眼差しやいたずらっぽい笑顔を思い出した。 鶏頭の花は燃え立つようだが同時に穂の揺らぎ具合が諧謔的にも見え、作者にふとこんなことを思い出させる契機にもなった…

主宰作品鑑賞 1月号より

1月は自分が風邪をひいたり父の緊急入院に伴って帰省したりと、あっという間に過ぎ去り、 こちらも随分お留守になってしまいました。 また鋭意更新に努めますので、よろしくお願いいたします。 遅ればせながら、1月号の主宰作品から。 殊によきピアニッシモ…

「冬鷗」

湧きに湧く埠頭の鷗破魔矢享く 一考 句集『白昼』より。平成三年の作。 初詣の景。作者は横須賀に住んでいたから、海の感じられる句が多い。 埠頭に鷗が「湧きに湧」いている。漁港のようにも思える。きっと天気も良く、新年の青空を飛び交う鷗の翼が日に輝…

2016年 1月号 主宰作品

あけましておめでとうございます

2016年が明けました。 本年も俳句のことを考えながら歩んでいこうと思っております。 よろしくお願い申し上げます。 表紙も新しくなりました。 写真は中山道、奈良井宿。 一年間、この表紙と共に、 重ねてよろしくお願い申し上げます。