ユダ
ユダ読むで金貨の如き夜光虫 一考
昭和50年作。『河』掲載。
ユダといえば「銀貨30枚でイエスを敵に売った」と広辞苑で身も蓋もないいわれ方をしている裏切り者の代名詞のような存在。Giotto の「ユダの接吻」も思い出される。
「ユダ読むで」から連想したのは太宰治の『駆込み訴え』。師イエスを裏切るまでの(裏切ると決めてから更に)葛藤と心情の変遷が、ユダ自身の独白によって一気に描かれている。
読んでみた。
じつは太宰治がどうも苦手で、あまり積極的に読んでこなかった。
いろいろ突き付けられるからだと思う。
最後にユダが「イスカリオテのユダ」と名乗りを上げるのが印象的だった。
聖書の話は知っていた方が良いが、「何の話だろう」と思いながら読み進めた方が面白い。
作中にこんな一文があった。
だから、あの人が、私の辛苦して貯めて置いた粒々の小金を、どんなに馬鹿らしくむだ使いしても、私は、なんとも思いません・・・(以下略)
以下、「それにしても労いのことばくらいはかけてくれても良いではないか」という心情が吐露されている。
何となく「粒々の小金」が「夜光虫」に重なった。
正しいとか正しくないとかは別にして、
ベストを尽くしたのに認められなかった。
善悪ではなくて、そこに自分の居場所は無いと悟ったときの絶望感は、思いが強ければ尚更のこと。
一考さんは何を思って夜光虫を見ていたのだろう。
訊いておきたかった。
たぶん答えてくれないと思うけれど。
写真は「接吻」してるように見えるオグロプレーリードッグ。実際はモメてるところ。