三日月句会

俳句のこと。句会のこと。一考さんのこと。

あぢさゐ

気が付けば6月も終わろうとしている。

毎年6月には函館へ帰省することが多いので、ちょうど東京の紫陽花を見損ねることが多い。

 

今年は特殊な事情で帰省もためらわれ、梅雨時を東京で過ごすこととなった。

梅雨時とはいえ、雨の降らぬ日は真夏日の暑さで、天気の観点でも常ならぬ雰囲気。

その所為か、紫陽花が乾き気味。

 

そういえば一考さんの紫陽花の句、

 紫陽花や朝は妊婦の満ちに満つ(『斧のごとく』より 昭和55年)

というのは思い出されるが、他はあまり印象がない。

昭和61年11月号に発表した

 海原にあぢさゐ月夜あるごとく

という句は、
 海原もあぢさゐ月夜となりにけり

と推敲されて『櫂歌』に採録されている。

 

夜の海が月光を受けてさざめいている。

地上では紫陽花が変幻自在な色を見せている。

その紫陽花の気配が海原にまで伝わっているような一体感がある。

さらに月の光を意識すると、宇宙にまで意識が行く。

ひとつに融合した世界を「あぢさゐ月夜」と言い留めた。

荘厳である。

 

夜の海の光を詠んだ句で、こんなものもある。

 付け睫毛などやめたまへ夜光虫(『斧のごとく』より 昭和54年)

私の愛誦句のひとつ。

どうもあの光は作者には少しばかりどぎつい印象を与えたようだ。

紫陽花の微妙な色合い、変化してゆくさまは、かなり好みに合っていたと思う。

しかし、どうも捉えきれなかったような印象がある。

正確に云うと、紫陽花への自分の感情を掴みきれていなかったように思う。

 滝上やあぢさゐ湧かす流れ来て(昭和62年)

 あぢさゐに遷座の神は狐達(平成元年)

 海坊主夜のあぢさゐを食べにくる(平成5年)

作者の大好きな朴の花とは対照的に、ある種の畏怖の念を抱いていたというか、まがまがしさ(とまでは云い過ぎか)を感じ取っているような雰囲気なのは見て取れる。

この三句はいずれも句集には採録されていない。ボツになった。

「海坊主」の句などぜひ完成させてほしかった。

 

一考さんは21年前に亡くなったが、その後紫陽花はどんどん新品種が出てきて、本当に多様になった。一考さんが見たら、また違う世界が現れたかもしれない。

あ、でも、華やかすぎて好まないかも。

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もの言いたげに見える。