三日月句会

俳句のこと。句会のこと。一考さんのこと。

一考歳時記

あぢさゐ

気が付けば6月も終わろうとしている。 毎年6月には函館へ帰省することが多いので、ちょうど東京の紫陽花を見損ねることが多い。 今年は特殊な事情で帰省もためらわれ、梅雨時を東京で過ごすこととなった。 梅雨時とはいえ、雨の降らぬ日は真夏日の暑さで、天…

猫と市電

三月や猫と市電が海へゆく 句集『斧のごとく』より。昭和55年作。 函館を詠んだ句だと勝手に思っていたが(我田引水的に)、 富山は高岡の情景とのこと。 広辞苑によると「市電」は「市営電車または市外電車の略。通常、路面電車を指す」とあり、「主に市街…

二月

2020年2月2日。 令和二年二月二日でもある。 せっかくなので何か書いておこうという。 どうせなら22:22も狙うのであった。 一考さんは「二月」の句を多く詠んでいる。 一年の中で「十二月」に次ぐ二番目の多さである。 たしかに「十二月」といえば様々な感…

あらたまの

あらたまの脈拍に指あててみよ 『白昼』より。平成五年。 一考さんは毎年かなり意識的に新年を詠んでいる。 年の初めに良いことばを放つというのは詩歌に関わるものとしては当然意識すべきことなのかもしれない。 自分が出来ていないので反省している。 「あ…

夜寒

しやらくせいと夜寒の声すシャンデリヤ 『斧のごとく』より。昭和53年。 「人」創刊前夜の句。 普段「しやらくせい」などという台詞はなかなか聞かれない。 発するのにも力が要る。近松や黙阿弥あたりの世話狂言の一場面なども彷彿とする。 語尾からすると江…

新米

新米に梅干一つ乗せてみる 『黄檗山』より。昭和57年。 新米の季節になるといつも思い出す。 そして実際にやってみる。 私の中で、新米の儀式のようになっている。 この句を鳥居おさむが魅力的に鑑賞している。 新米を炊く。 真白で、艶があって、しかも粒が…

その一辺の秋の風

五稜郭その一辺の秋の風 『貌鳥』より。平成二年十月。 五稜郭は日本初の西洋式の城郭で、いわゆる星形の堡塁が特徴的である。 平成二年十月、函館で「人」全国大会が開催された。残念ながら私は当時大学生で、地元での大会に参加することはできなかったが、…

立秋

珈琲に王偏ふたつ秋立ちぬ 句集『白昼』より。平成4年作。 作者はコーヒー好き。 吟行先で姿が見えなくなって探すと、喫茶店の席についてコーヒーを待っているということもあった。 コーヒーの漢字表記「珈琲」は江戸期の蘭学者宇田川榕菴によって考案された…

八月一日

ブログ引っ越しました。 追々慣れていきます。 さて、 八月一日は一考さんの誕生日。 扉をひらき八月一日ありにけり(H.8) 一枚の裸なりけり誕生日(S.63) 誕生日を意識していたらしく、各句集の後書は大抵八月一日に書かれている。 そういえば、一考さん…

紅梅

紅梅に最もちかき船櫓 『斧のごとく』より。昭和53年 作者の詠む紅梅は、よく水辺にある。 洲になにもなし紅梅の一進す 洲を掘りて水位の確か薄紅梅 昂然と紅梅あらば渚まで 作者の居住地横須賀方面の風景のようにも思う。怠慢ゆえにまだ確かめていない。 海…

身に湧いて雛のうたや小名木川 『白昼』より。平成四年。 「小名木川」「雛」といえば『おくのほそ道』である。 江戸深川の「江上の破屋」に暮していた芭蕉が漂泊の思い止まずに松島を指して旅立つ冒頭部分、人手に渡った庵に 草の戸も住替る代ぞひなの家 と…

かいつぶり

乱読に当てなかりけりかいつぶり 『貌鳥』より。平成元年。 「乱読」とはそもそも手当たり次第に読むことなので、この句の「当てなかりけり」は念を押しているようなもの。「わざわざ云わなくても」と思ったものだった。 今日突然、この句がしっくり来た。 …

大寒

大寒や灯して濁す身のほとり 『斧のごとく』より。昭和52年。 手元の灯かと思う。 何かの必要に迫られて灯したが、そこに照らし出されるのは必ずしも美しい世界ではない。 見なくてもよいものまでが浮かび上がってくる。そして、それは避けられない事象なの…

クリスマス

昨晩更新しようと思ったら、パソコンが固まってしまった。 というわけで、やや乗り遅れた感はあるが、一考さんのクリスマス関連の句を探してみた。 少ない。 句集に採録されたのは一句のみ。 街なかに降誕祭の没日あり 『貌鳥』より 平成元年。 古のヨーロッ…

冬至

坂に出て冬至の靴の黒光り 昭和63年の作。 当時「人」に入会したての私はこの句をとても良いと思ったのだが、句集には採録されず。 句集というのはそれなりに一貫した空気が流れていなければならないのだとすれば、たとえ佳句でも弾かれる場合はあると思う。…

十二月

重と丼膳もありけり十二月 『白昼』より。平成四年。 たぶん鰻。そしてたぶん作者は鰻好き。 普段は旧暦に拠ることの少ない世の中が、十二月に入った途端「師走」を連発する。なんとなく節操のない感じがするし、だいたいまだ「霜月」なのだが、実際慌ただし…

万感のやさしさをもて雪の舞ふ 句集「黄檗山」より。昭和56年。 作者には雪の句が多い。 生きてゐて氷の上の雪の嵩 海に雪黒人兵の膝拍子 石組みに無上無類の雪の来よ 我儘に句は作るべし牡丹雪 雪の上ぼろんと真日の転び出づ 作者は横須賀の生まれ育ちだ…

秋茄子

秋の昼一つは茄子を焼きたまへ 『櫂歌』より。昭和60年の作。 季語は「秋の昼」だが、「茄子」のインパクトが強くて、つい記事のタイトルを「秋茄子」にしてしまった。 長年、「ああそうですか」と思って遣り過ごして来た句。 ふと情景が気になる。 茄子を詠…

炎天

いみじくも炎天よりの憎しみぞ 句集『櫂歌』より。昭和60年。 まず「いみじくも」である。広辞苑によると「まことにうまく。適切に」とある。 原型の「いみじ」は「『いむ(忌む)』の形容詞形で、禁忌として決して触れてはならないと感じられるというのが原…

うつくしく蛇の泳いで伊勢の雨 句集『黄檗山』より。昭和58年の作。 掲句は「人」昭和58年11月号に掲載されているが、記録を見る限り、実際に伊勢を訪れて詠まれたものではないようである。 実際の景に際してのものではなかったとしても、そこへ到るまでの作…

噴水

本降りに夜の噴水の有頂天 句集『貌鳥』より。平成元年の作。 まず「有頂天」という語が頭に浮かんだという。 「有頂天なものって何だろう」と作者はイメージを膨らませる。 「胡蝶蘭」を連想する。それでは容易に想像がついてつまらない。 続いて「噴水」を…

さくら来て死は旧暦の思ひかな 真っ先に連想するのは西行である。それだけでも納得してしまう説得力がある。 その一方で、「さくら来て」とは具体的に読もうとすると色々な見方が出来る。 「さくら」と「来て」との間には、読む場合に助詞が補われる。「の(…

辛夷

槍飛んで来さうな辛夷朝の空 花こぶし遊女の数をたづねしが 絶巓の風のこぶしとして消えむ もうひとり辛夷の家の卵買ふ 遠浅の波が鞍替へ辛夷咲く 3月17日は進藤一考の命日。今年で19年になる。 葬儀からの帰途、電車の窓から見事に満開の辛夷の樹が連なって…

啓蟄

啓蟄の屋根踏みしめて瓦職 進藤一考 第六句集「白昼」より。 「瓦職」が踏みしめているのはやはり瓦屋根だろう。足は地下足袋だろうか。 作者の家が瓦葺だったかどうかは知らないが、実際の景を見ているというよりは、作者は家の中に居て、職人が屋根の上を…