立秋
珈琲に王偏ふたつ秋立ちぬ
句集『白昼』より。平成4年作。
作者はコーヒー好き。
吟行先で姿が見えなくなって探すと、喫茶店の席についてコーヒーを待っているということもあった。
コーヒーの漢字表記「珈琲」は江戸期の蘭学者宇田川榕菴によって考案されたとウィキペディアにある。「珈」「琲」いずれも玉飾りを意味する文字で、もしかしてコーヒー豆の形態も念頭にあったのかもしれないなどと考えると面白い。初めて味わう異国の飲み物を美しく形容した語なのだろうか。
由来の話はともかく、作者はふとこの漢字に意を留める。王偏ふたつが際やかに感じられるのは「秋立ちぬ」という季節の気配に呼応しているようだ。まだ暑さも厳しい折だけれど、この「秋立ちぬ」により五感が呼び覚まされ、コーヒーの香もくっきりするような気になる。
じつは「琲」の部首は王偏ではなく玉偏らしい。
だが掲句は立秋の気分を切り取った句である。実際はどうかということも大切ではあるが、ここでは作者の直感的な印象を大切にしても良いのではないかと思う。
今年も立秋を迎えたが、連日の猛暑でとても「秋」という気分にはなれない。
それでも、いつもの珈琲店を目指して歩いた午後6時過ぎ、風が少し涼しく、日の暮れるのも早まってきた。やはり季節は動いているなと思いながら歩いた。