三日月句会

俳句のこと。句会のこと。一考さんのこと。

大寒

大寒や灯して濁す身のほとり

『斧のごとく』より。昭和52年。

手元の灯かと思う。
何かの必要に迫られて灯したが、そこに照らし出されるのは必ずしも美しい世界ではない。
見なくてもよいものまでが浮かび上がってくる。そして、それは避けられない事象なのだ。
「身のほとり」だから作者の表情までは窺い知ることはできない。作者は張りつめた大寒の闇の中に居る。

作者にはまた
貝を煮て汁を濁すや一遍忌
という句がある(『黄檗山』、昭和57年)。
主役であろう貝を入れたことによって汁が濁る。それに意を留めつつも、そうしなければ始まらない人間の営みを思う。

「絵伝」に描かれた、皆が鉦を叩いて踊り狂う中で同じように踊りながら、どこか淋しげな一遍上人の眼差しを思い出した(あれを描いた人もすごいと思う)。

掲句が作られた頃、作者は大変な緊張の中にいた。
今となってはそれがどのようなものだったか確かめることはできないし、私も俳句とは別次元の諸々に関しては興味が無い。
ただ、その頃の一連の作品からは、全てを呑み込んで一句を成そうという作者の気迫が痛いほど伝わってくる。
見習わなければと思う。

写真は本日、大寒の日の清澄庭園
まばゆかったキンクロハジロ
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