三日月句会

俳句のこと。句会のこと。一考さんのこと。

「さがみね」3月号

「さがみね抄」より ~句会出席者による自選6句~ 探梅や靴紐締めて脇道へ 石下勝彦 五穀米春の匂ひを噴きこぼす 鈴木須美枝 莫大小の股引脱げず春疾風 仲出川廣明 梅便り施設の友に二通ほど 塙昌子 立春や鴨に目白に四十雀 兒玉利幸 年の豆一粒余し闇を打つ…

リニューアル中・・・

久々にこのブログを開いて、 前回の記事を書いた頃が「緊急事態」の真っただ中で、あまりトーンが変わっていない印象があってちょっと驚く。 結社「人」が解散して3年。もっと経ったような気がしていた。 「三日月句会」続いております。 最初A4の用紙一枚の…

あれこれ

東京を一歩も出ずに過ぎた八月。 恒例の旅行もできずに淋しかったが、その分東京散歩にいそしむ。 都心は却って人が少なかった。自分なりに飲食店を応援。 相変わらず句会が出来ない状態が続いているが、それなりにバタバタ。 「人」500号が届いた。 これが…

あぢさゐ

気が付けば6月も終わろうとしている。 毎年6月には函館へ帰省することが多いので、ちょうど東京の紫陽花を見損ねることが多い。 今年は特殊な事情で帰省もためらわれ、梅雨時を東京で過ごすこととなった。 梅雨時とはいえ、雨の降らぬ日は真夏日の暑さで、天…

ユダ

ユダ読むで金貨の如き夜光虫 一考 昭和50年作。『河』掲載。 ユダといえば「銀貨30枚でイエスを敵に売った」と広辞苑で身も蓋もないいわれ方をしている裏切り者の代名詞のような存在。Giotto の「ユダの接吻」も思い出される。 「ユダ読むで」から連想したのは太宰…

八十八夜

八十八夜・・・立春から八十八日目に当たる。蔬菜類の苗はようやく成長し、養蚕は初眠ごろ、茶摘は最盛期で、農家は忙しい。この日以後は霜がないとせられている(角川文庫『俳句歳時記・春の部(昭和62年)』より) 個人的には「夏も近づく八十八夜」という「茶摘み」…

フレデリック

このところ、 しきりに「フレデリック」が思い出される。 レオ・レオーニのちぎり絵のねずみ。 冬に備えてせっせと食べ物を集めるねずみたちの中で、フレデリックだけがじっと佇んで、何もしていないように見える。 仲間が咎めると、フレデリックは「ボクは…

猫と市電

三月や猫と市電が海へゆく 句集『斧のごとく』より。昭和55年作。 函館を詠んだ句だと勝手に思っていたが(我田引水的に)、 富山は高岡の情景とのこと。 広辞苑によると「市電」は「市営電車または市外電車の略。通常、路面電車を指す」とあり、「主に市街…

二月

2020年2月2日。 令和二年二月二日でもある。 せっかくなので何か書いておこうという。 どうせなら22:22も狙うのであった。 一考さんは「二月」の句を多く詠んでいる。 一年の中で「十二月」に次ぐ二番目の多さである。 たしかに「十二月」といえば様々な感…

あらたまの

あらたまの脈拍に指あててみよ 『白昼』より。平成五年。 一考さんは毎年かなり意識的に新年を詠んでいる。 年の初めに良いことばを放つというのは詩歌に関わるものとしては当然意識すべきことなのかもしれない。 自分が出来ていないので反省している。 「あ…

一句を究める

突然・・・でもないのだが、 「人」誌の終刊と結社の解散が決まった。 何とか続けてほしくて、新しい連載を始めたりした。 何の役にも立たなかった。 最終号まで続けようと思っている。 令和二年の一月号が届いた。 カウントダウン的な風情をはらんでいてやるせ…

葉鶏頭

微笑ましい原稿が出て来たので載せておく。 葉鶏頭絶句を絶句たらしめむ 歌澄 真赤な句を作りたかった。 偶々訪れた発行所で、備品の封筒の宛名書を見たある人が、「あら、これ○○さんの字だわ」と呟いた。筆跡の主は、俳人としての将来を嘱望されながら五十…

夜寒

しやらくせいと夜寒の声すシャンデリヤ 『斧のごとく』より。昭和53年。 「人」創刊前夜の句。 普段「しやらくせい」などという台詞はなかなか聞かれない。 発するのにも力が要る。近松や黙阿弥あたりの世話狂言の一場面なども彷彿とする。 語尾からすると江…

新米

新米に梅干一つ乗せてみる 『黄檗山』より。昭和57年。 新米の季節になるといつも思い出す。 そして実際にやってみる。 私の中で、新米の儀式のようになっている。 この句を鳥居おさむが魅力的に鑑賞している。 新米を炊く。 真白で、艶があって、しかも粒が…

その一辺の秋の風

五稜郭その一辺の秋の風 『貌鳥』より。平成二年十月。 五稜郭は日本初の西洋式の城郭で、いわゆる星形の堡塁が特徴的である。 平成二年十月、函館で「人」全国大会が開催された。残念ながら私は当時大学生で、地元での大会に参加することはできなかったが、…

真青な猫じやらし立つ盆の来て 『斧のごとく』より。昭和52年。 今年のお盆も過ぎた。 祖先の霊を迎える行事である。 地方によっては7月に行われる場合もあるが、歳時記では秋季とされていて、お盆が過ぎると何となく季節が進んだような気分になるというの…

立秋

珈琲に王偏ふたつ秋立ちぬ 句集『白昼』より。平成4年作。 作者はコーヒー好き。 吟行先で姿が見えなくなって探すと、喫茶店の席についてコーヒーを待っているということもあった。 コーヒーの漢字表記「珈琲」は江戸期の蘭学者宇田川榕菴によって考案された…

八月一日

ブログ引っ越しました。 追々慣れていきます。 さて、 八月一日は一考さんの誕生日。 扉をひらき八月一日ありにけり(H.8) 一枚の裸なりけり誕生日(S.63) 誕生日を意識していたらしく、各句集の後書は大抵八月一日に書かれている。 そういえば、一考さん…

さくらんぼ

東京例会で一考さんが「さくらんぼ」を詠む難しさを語ったことがあった。 さくらんぼは一粒というよりたくさんの印象があり、どうしても雰囲気を詠んだものになってしまう。他を見回しても具体的に描写した句は少ない。 その時自作の例として挙げたのは、 さ…

紅梅

紅梅に最もちかき船櫓 『斧のごとく』より。昭和53年 作者の詠む紅梅は、よく水辺にある。 洲になにもなし紅梅の一進す 洲を掘りて水位の確か薄紅梅 昂然と紅梅あらば渚まで 作者の居住地横須賀方面の風景のようにも思う。怠慢ゆえにまだ確かめていない。 海…

身に湧いて雛のうたや小名木川 『白昼』より。平成四年。 「小名木川」「雛」といえば『おくのほそ道』である。 江戸深川の「江上の破屋」に暮していた芭蕉が漂泊の思い止まずに松島を指して旅立つ冒頭部分、人手に渡った庵に 草の戸も住替る代ぞひなの家 と…

かいつぶり

乱読に当てなかりけりかいつぶり 『貌鳥』より。平成元年。 「乱読」とはそもそも手当たり次第に読むことなので、この句の「当てなかりけり」は念を押しているようなもの。「わざわざ云わなくても」と思ったものだった。 今日突然、この句がしっくり来た。 …

大寒

大寒や灯して濁す身のほとり 『斧のごとく』より。昭和52年。 手元の灯かと思う。 何かの必要に迫られて灯したが、そこに照らし出されるのは必ずしも美しい世界ではない。 見なくてもよいものまでが浮かび上がってくる。そして、それは避けられない事象なの…

クリスマス

昨晩更新しようと思ったら、パソコンが固まってしまった。 というわけで、やや乗り遅れた感はあるが、一考さんのクリスマス関連の句を探してみた。 少ない。 句集に採録されたのは一句のみ。 街なかに降誕祭の没日あり 『貌鳥』より 平成元年。 古のヨーロッ…

冬至

坂に出て冬至の靴の黒光り 昭和63年の作。 当時「人」に入会したての私はこの句をとても良いと思ったのだが、句集には採録されず。 句集というのはそれなりに一貫した空気が流れていなければならないのだとすれば、たとえ佳句でも弾かれる場合はあると思う。…

十二月

重と丼膳もありけり十二月 『白昼』より。平成四年。 たぶん鰻。そしてたぶん作者は鰻好き。 普段は旧暦に拠ることの少ない世の中が、十二月に入った途端「師走」を連発する。なんとなく節操のない感じがするし、だいたいまだ「霜月」なのだが、実際慌ただし…

万感のやさしさをもて雪の舞ふ 句集「黄檗山」より。昭和56年。 作者には雪の句が多い。 生きてゐて氷の上の雪の嵩 海に雪黒人兵の膝拍子 石組みに無上無類の雪の来よ 我儘に句は作るべし牡丹雪 雪の上ぼろんと真日の転び出づ 作者は横須賀の生まれ育ちだ…

良夜

二十年前。 東京例会で一考さんから紙切れを渡された。 「良夜」と書いてあった。 「九月号に随筆を書きなさい」とのこと。 その頃原稿依頼は一考さん自らが葉書を送ったり、上記のように句会で直接「お題」を渡したりすることがよくあった。依頼された方は…

推敲すること

二十年ほど前はまだ一考さんはご健在で、精力的に指導していた。 私も毎月句を送り付け、先生はその句稿に丸とか二重丸とか傍線とかを書き込んで返送してくれていた。毎月四百字詰め原稿用紙五枚ほどだったろうか。随分迷惑だったに違いない。 それで丸や二…

秋茄子

秋の昼一つは茄子を焼きたまへ 『櫂歌』より。昭和60年の作。 季語は「秋の昼」だが、「茄子」のインパクトが強くて、つい記事のタイトルを「秋茄子」にしてしまった。 長年、「ああそうですか」と思って遣り過ごして来た句。 ふと情景が気になる。 茄子を詠…