さくらんぼ
東京例会で一考さんが「さくらんぼ」を詠む難しさを語ったことがあった。
さくらんぼは一粒というよりたくさんの印象があり、どうしても雰囲気を詠んだものになってしまう。他を見回しても具体的に描写した句は少ない。
その時自作の例として挙げたのは、
で、これは賛否両論ありそうな。
句集に収められている一考さんのさくらんぼの句は全部で二句で、
もう一句は
舌頭の一句のごとしさくらんぼ(『白昼』、平成4年)
こちらはひと粒の様子を詠んだものだろう。
東京例会でこの話が出たのは「舌頭の…」の句の少し後で、その後も幾つかの試みを誌上で発表している。
寝て覚めてわが熱量のさくらんぼ(平成6年)
大皿小皿旗手として立つさくらんぼ(平成8年)
円標示埠頭の市のさくらんぼ(平成9年)
あれこれ試行錯誤していた様子が窺える。
ちなみに上の三句は句集を編む際にボツになっている。
(引っぱり出して怒られそうだ)
今思うに、
わざわざ例会でこの話をしたのは、さくらんぼをじっくり見てごらんという示唆だったわけで、みんながどんな句を作って来るか楽しみにしていたのではないだろうか。
のほほんと聞き流していた自分が腹立たしい。
毎年さくらんぼの頃になると一考さんの話を思い出す。
なんと今年、さくらんぼが我が家に到来。
観察してみようかね。あっさり食べちゃいそうだけど。