冬至
坂に出て冬至の靴の黒光り
昭和63年の作。
当時「人」に入会したての私はこの句をとても良いと思ったのだが、句集には採録されず。
句集というのはそれなりに一貫した空気が流れていなければならないのだとすれば、たとえ佳句でも弾かれる場合はあると思う。
作者は横須賀のその名もハイランドという地に住んでいた。毎朝出勤のために家を出るとまず坂に対峙することになる。黒い革靴だろう。その靴が冬至の日の光を捉える。それを見逃さぬ作者がいる。冬至の日なればこそ一瞬の輝きも疎かにしたくはなく、同時にこのの光によって「冬至」を強く意識した心の動きが見て取れる。
「黒光り」は今日という日の輝きであり、「冬至」という一年で一番昼間の短いいちにちの、日射しを心に留める作者である。
確かに、掲句はごく日常の個人的体験を詠んだもので、それ故に句集には採録されなかったのかもしれないが、もしこの句がもう少し後に作られていたとすれば、また違った扱いになっていたかもしれない。第四句集『太陽石』は沖縄への指向を深めた時期だったから、第五句集『貌鳥』の頃にはまた力の抜けた選がなされていたようにも思う。