あらたまの
あらたまの脈拍に指あててみよ
『白昼』より。平成五年。
一考さんは毎年かなり意識的に新年を詠んでいる。
年の初めに良いことばを放つというのは詩歌に関わるものとしては当然意識すべきことなのかもしれない。
自分が出来ていないので反省している。
「あらたま」は掘りだしたままでまだ磨かぬ玉(広辞苑)のこと。
「あらたまの」は和歌の枕詞で「年」「月」「日」「夜」「春」にかかる。
「あらたまの年」は新年のことで俳句の季題にもなる。
ということで掲句。
「あらたまの」の後に「脈拍」となっていて、和歌のルールから見ると外れているのだが、俳句では許容されている向きもある。
たとえば「ぬばたまの」ですでに「黒」が暗示されているとか、「垂乳根」=「母」といった具合。いうまでもないというところか。
私自身は積極的には用いないが、枕詞の響きの持つ魅力はやはり大きい。
新年を迎えて「あらたまの」と詠いだす気分もよく分かる。
淑気満ちる中で、作者は「脈拍に指あててみよ」と云う。
「あててみる」ではなく「あててみよ」。自分の鼓動を確かめろというのである。
以前より作者は、自身の身体を句に詠んでいる。時には自らの老いや病を覗わせるような作もあるが、そればかりでなく、俳句を発する主体としての肉体を確認する作業なのではないかと思える。
一年の始まりに自分の脈拍を感じ取る。実体として自分は確かに存在する。
地に足を付けて、自分の脈拍を恃みに、今年も生きる。句を作る。
「あててみよ」は作者自身を鼓舞することばなのだろうが、読み手の心にも深く響く。
惑わずにペースを守って歩みたいものである。