推敲すること
二十年ほど前はまだ一考さんはご健在で、精力的に指導していた。
私も毎月句を送り付け、先生はその句稿に丸とか二重丸とか傍線とかを書き込んで返送してくれていた。毎月四百字詰め原稿用紙五枚ほどだったろうか。随分迷惑だったに違いない。
それで丸や二重丸が付いて来た句を張り切って結社誌に投句したら、二句しか採ってもらえなかったということがよくあって、「良いって云ったじゃん」とショックを受けたりしたものだった。
いま「河」誌における一考さんの句を拾い集めている。
一考さんは三十代ですでに才気あふれる句を連発し、昭和四十年に河賞を受賞している。
その前年七月、全国大会の鍛錬会での句。
船虫や足裏の遠き日ぞ翳る
船ろくろ廻し炎天軋みしか
濤遠しダリヤの裏の眠り解く
神域に汗盗むごと拭きゐたり
句会では高評価だったが、「河」九月号投句の際には姿を変えていた。
舟虫や声逆落す西日中
船轆轤絞り炎天軋み出づ
涛曝けダリヤの裏の眠り解く
喫水や汗盗まむと双手つき
鍛錬会での句、いずれもその着想や語の斡旋は非凡である。しかし後に発表されたものを見ると、発想やことばの本質をより突き詰め、研ぎ澄まされているのが分かる。最初のままでは感覚の良さに寄りかかっている印象がある。
こういうことか~
と今ごろ嘆じても遅いのだが、もっと厳しい所を求めていかなければと猛省。
写真は河賞受賞当時の一考さん。三十五歳。