三日月句会

俳句のこと。句会のこと。一考さんのこと。

夜寒

しやらくせいと夜寒の声すシャンデリヤ

『斧のごとく』より。昭和53年。

 

「人」創刊前夜の句。

普段「しやらくせい」などという台詞はなかなか聞かれない。

発するのにも力が要る。近松や黙阿弥あたりの世話狂言の一場面なども彷彿とする。

語尾からすると江戸っ子か。

広辞苑によると「洒落臭い」で、「なまいきである。分をこえてしゃれたまねをすること。利いた風である」とある。他の表現に言い換えるのは難しいような気がする。

「小賢しい」と似ているが、動かされる感情がもっと大きいイメージがある。

 

当時作者は大変困難な(というか不本意な)状況にあったが、心情をひとことも漏らすことなく俳句に集中していた。強靭な精神力と、俳句そのものと次元の違う事で俳句を貶めたくないという矜持が感じられる。

そんな時に耳にした「しやらくせい」。作者の状況とは関係のないものかもしれないが、作者の中で「シャンデリヤ」の輝きと呼応してさざめいている。

この句、結社誌に掲載された当初は語尾が微妙に違った。

しやらくせと夜寒の声すシヤンデリ

下線部を「え」→「い」、「ア」→「ヤ」とし、「夜寒」と送り仮名を削ったことにより、響きにキレが出て、視覚的にも緊張感が増した。

S音の響きや「夜寒」の暗さ、皮膚感覚と相俟って、シャンデリアの光に一層の鋭さを与えている。

ここで、「夜寒」は勿論秋の季題で、冬の寒さとは違う。

初秋の温かさを引きずっての寒さは、張りつめた冬の空気よりも動きがあり、緩みがある。場合によってはそちらの方が辛いものである。

 

ふり撒かれたシャンデリアの光は、作者が心に秘めていた思いの発露だったのかもしれない。

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シャンデリアの画像、これしかなかった。ちょっと緊張感に欠けるが、或いはこれを撮影したディ〇ニーシー自体、巨大なシャンデリアのようなものかも。