三日月句会

俳句のこと。句会のこと。一考さんのこと。

うつくしく蛇の泳いで伊勢の雨
句集『黄檗山』より。昭和58年の作。
 
 掲句は「人」昭和5811月号に掲載されているが、記録を見る限り、実際に伊勢を訪れて詠まれたものではないようである。
 実際の景に際してのものではなかったとしても、そこへ到るまでの作者の経験、美意識を動員したという意味で、そこには実(じつ)があると云えるし、そういう手法も当然あり得る。
 雨の中を泳ぐ蛇の姿をうつくしいと感じた。そのうつくしさを支えて耐えうるのが「伊勢」という地(を表す語)の力だった。もしくは、先に「伊勢」がモチーフとしてあったということも考えられるが、作者は大の蛇嫌いなので、苦手な蛇を「うつくし」いとする形容は、実際に蛇の泳ぐ様を見た上での素直な感動だと思いたい。
 
「伊勢」という語から、読み手がどれほどの情景を引き出して味わうことができるか、というのが掲句の要である。
 
「伊勢」といえば伊勢神宮をまず思い浮かべる。
参宮の折にはまず五十鈴川の御手洗場(みたらしば)で手(と口)を清めるのが慣わしである。清流五十鈴川は神聖な流れとされ、「この川に架かる宇治橋は、聖俗界を分ける結界といわれる(Wikipediaより)」。
 掲句では「五十鈴川」の景とは言っていないが、「うつくしく」という平仮名表記から、泳ぐ蛇における時間の経過のようなものが感じられる。動きがよく見えるほど水が澄んでいて、流れも速くなく、蛇の動きもゆったりとした印象がある。神聖な場所に、己の処を得て存在する蛇に生命の輝きを感じ、見ている自身も雨の中にいる。「緑雨」とも思える生命感あふれる雨に包まれて、荘厳ささえ感じられる。
 
蛇足めくが。
『伊勢國風土記』によると、伊勢國は神武天皇東征に際し、天日別命(あめのひわけのみこと)が平定したという。戦いに敗れた先住の神、伊勢津彦は国を差し出し、自分は風と波を起し、それに乗って光の中を東方へ去った(かなりざっくり要約)。
 伊勢國を「常世の浪寄する國」という表現がある。「常世」とは恒久の世で死の国、転じて死のない理想国の意にも用いられ、つまり「伊勢」は異界からの波の届く地なのである。それを考え合わせると、一層蛇の「うつくし」さは際立つ。

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