三日月句会

俳句のこと。句会のこと。一考さんのこと。

俳句総合誌管見 『俳句界』8月号より

『人』の「俳句総合誌管見」というコーナーで『俳句界』を担当しています。
いわゆる「ハウツー」的な記事には興味が無いのですが、句作の根本的な部分に働きかけるような記事が多く、興味深く担当させてもらっています。かなり好きなように書いてます。

8月号の紹介文は『人』10月号に掲載される予定です。
少し早いですが、ご紹介します。



『俳句界』(八月号より)


川越 歌澄


終戦日特集「無言館を訪ねて」…長野県上田市にある美術館「無言館」には戦没画学生たちの作品が展示されている。特集ではその作品の一部をカラーページで紹介し、館の案内、館主窪島誠一郎へのインタビュー、更に「無言館を詠む」として三人の俳人が作品を寄せている。インタビュー記事から―「どうしても彼らの絵を反戦の道具にしている、政治利用している、という呵責が起こってくる。僕は知ってるんです。反戦平和を叫びながら死んでいった学生なんて一人もいないんです(中略)芸術なんて弱虫じゃないと出来ないんです…」「無言館を訪れた人がよくその思いを俳句や短歌に詠まれていて、彼らの絵に詩を喚起させる力があるのだとは思うけど、しかし、どこかに詠うことへの含羞やいたたまれなさを持っていてもらいたいなとも思います。詠えなかった、という着地点もあると思うんです。」―


 無言館が開館したのは1997年。当時私も画学生たちの年齢と近かったこともあり、実際に訪れたことはないが本などをいろいろ読み漁った。遺された作品はどれもごく平凡な日常の風景を描いたものであり、そのことが却って道半ばでその道を奪われた無念さと、表現手段を持つ者がその作品に込めた強さ、明るさを際立たせている印象だった。


 戦後71年を経て、実体験として戦争を詠む人は減少している。それでもネットなどには「終戦日」の句が溢れる、。経験していない者も思いを詠むことは勿論否定されるべきではないし、「伝える」という観点からはぜひ取り組むべきことだと思う。その時に、当事者であった彼らの尊厳、創作にかけたぎりぎりの思いを心に留めておきたいと思う。