10月号 人作品抄鑑賞
十人集・当月集・合鳴鐘集それぞれの巻頭の作品の、主宰による鑑賞をご紹介します。
冷し酒風のうま味をあぢはへり 天下井誠史
お酒は飲めなくはないが「うま味をあぢはふ」などと言うものとは言えない。そして、その様なことを望んでもいないことに気づき、自分に呆れたりもしている。先ず、酔うと言うことに関心がない。酔うとすればお酒でなくともよい。しかし、この作品を味読すると「酒のうま味をあぢはへり」とあり、それが冷し酒の深遠が齎すものと知ることになった。
心太重なり合へば憂ひかな 佐藤かほり
心太が突かれ、器におさまると、この様な印象を受けるかも知れない。天草から加工された心太は、白ともグレーともあるいは緑とも言い難い姿を見せる。まるで煙のようだと喩えた句が以前詠まれたことを憶えている。煙が幾筋かに突き出されて重なり合えば、強い色彩のものとはまったく別の存在感となる。それを憂いと表白した作者に確かな感覚の存在を見逃すわけにはいかない。
ででむしに急ぐ時間のありにけり 田中耕一
蝸牛は童謡にも歌われ、なめくじとは違って愛玩される生きものである。このかたつむりには大型のもので食用にされるものがあり、フランス料理に用いられている。螺旋状の殻を負っていること、頭には二対の角に見立てられる触角をもっていること等、馴染みの姿であり、常に止まっている様子等、句材としては恰好な対象なのである。この生きものの中の時間の単位は我々とは異なるものであろうが、こんなことに気づくのも作句の楽しみではある。