三日月句会

俳句のこと。句会のこと。一考さんのこと。

「人」創刊の辞

 今から36年前、進藤一考49歳の創刊の辞。
 何よりも結社内の人間がこの理念を見直し、噛みしめねばならない現状である。

   「人」創刊の辞

 我々は、あらたに「人」を創刊することとなった。俳誌の名を「人」と決定したのは、俳句は人なりの信条に従った。古代歌謡、和歌、俳諧と、日本の詩歌の伝統は、人間の抒情という行為に基づくものであった。多くの歌人俳人の作品を、今日、日本文化の財産として、我々が共有し得るのは、日本の詩歌の伝統を、連綿と受け継ぎ教養として来たことに他ならない。俳諧の時代も、また俳句も、先達の試みによって革新が加えられ、作品の世界が拡大し、新化と深化が図られたが、俳句の基調にあるものは、人間の抒情であった。抒情を文芸の行為として行うためであった。
 今日、人々の価値観は、どの過去の時代にも体験しなかったほど、多様さを極めている。しかし、政治的、社会的に多くの問題があり、思想が対立しているとしながらも、人間性について語られ、人間性が探究され、人間性の確立が、何よりも強調され尊ばれる時代となった。文芸の目的も人間性の探究だとすれば、詩歌の抒情とは、まさしく人間性の吐露であり、抒情の内容をより豊かにし、抒情の文芸的密度をより高めなければならないという必然性に衝き当る。幸い我々は文芸が生れ、形づくられ、親しむことによって培われた、日本独自の美の伝統と俳諧精神を享受している。
 昭和二十三年、角川源義の提唱による抒情性の恢復とは、一作家に深く根ざした古代回帰の思想が示すとおり、人間性探究の主張でもあった。それより二十年の歳月が経過し、その師系に連なる我々は、実作をもって証明につとめて来たが、此度、余儀ない事態からあらたに結集して、俳誌「人」を創刊する運びとなった。
 文芸は、自らを見詰める人間の行為である。俳句は、人間の抒情のための文芸的行為である。俳誌「人」は、座の文芸として発展して来た俳句の歴史を、結社という場で踏まえながら、排他的、画一的な文芸活動としてではなく、純粋に人間を考え、そして、自然とともにある人間のこころを、俳句という文芸形式を通して表現していきたい。その具現は、抒情をもってなし得る作品の個性の重視であり、また、豊かな人間の情感を更に一歩進めて、文芸の情念として展開することにある。
 大方の誌友のご声援を大切にしながら、俳誌「人」の隆盛を期したい。

   昭和五十四年一月
進藤一考